私は制作時、言うのも恥ずかしいし、変な人と思われそうなのだが、「神」と呼んでも良いようなものの存在を意識することがある。 (言うのも恥ずかしいと書いたが、言うのも恥ずかしくて人には言わないが、実は密かに同じような思いでいる作家は結構いるのではと思っている。)
「神」というと大げさだし、キリスト教や神道の神を連想させて違う感じがするので、便宜上「お天道様」と呼んだりしている。 モヤモヤと感覚的な話で、どう書いても何か違うという感じになりそうなのだが、以下、敢えて整理して書いてみたい。
さて、私は、制作上一点一点もの凄く迷う。 大体、前作で上手くいった方向で制作を始めるわけだが、どうも、全然駄目だ、何処が駄目なのか分からないが、とにかく、これは間違っていると思う。 自分の作品が、もの凄くバランスが悪く、酷くヘンテコに見える。 もともと神経症的な性格だと思うが、制作においては極端な形で現れるとも言える。
上記のような、長い迷走の果てに、それを「代償」のようにして、突如、謂わば「天啓」のように、思わぬところに出口=完成への道筋が見つかる。(駄作のまま終わるのも多数) 自分としては、神秘的な瞬間であり、快感だ。 やった、歴史に残る大傑作!!近い将来美術館入りだ!! 敢えて言えばバラバラと広く散らばっていたものが、ギュッと小さい面積に寄り集まって、残りの部分がスッキリなにもなくなっているというような感覚。。。 全きバランス。あるべきところに全てがある。 「神」のようなもの=「お天道様」の存在を感じる。
だが、結構なばかりではない。 まず、思わぬところに出る「天啓」のようなもののおかげで出来上がるときは大体前回の作品と違うスタイルになっている。だから、私のスタイルと言えるものがなく世の中の信用が得られない。Instagramの作品集プロフィール画面が雑然として美しくない。
前述のように長く苦しむので作品数が極端に少ない。 そして、同時に何故か人好きの悪い変なものが作品に漂ってくるらしいのだ。
どのスタイル、やテーマでも現れる昼間の幽霊みたいに薄ぼんやり煮え切らないようななにか。。。 情緒的な共感やいわゆる癒やしの要素はほぼない。
そもそも この「天啓」のようなものは神経症的な迷走、混乱からの逃避に過ぎないのかもしれない。 低収入と世間からの無視を自分に納得させるための「神」のようなもの=「お天道様」なのかもしれない。
無垢の空洞 2005年 2022年 陶土 顔料 石灰透明釉 等
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