世界近代彫刻日本シンポジウムの動画
- 鈴木厚本人

- 6月12日
- 読了時間: 3分
更新日:6月12日
お父さんが大好きだった頃。
亡父実が最年少で参加した1963年の真鶴世界近代彫刻日本シンポジウムの動画初めて見た。私は4歳だった。 1990年代、新婚間際の頃、2人で実家に行くと、このシンポジウムの話。父はさりげなく妻に、いかに自分が年長の彫刻家達の奥様方にもてたか、新聞社のオフィシャル女性カメラマンが自分のことを好きになったとか自慢していた。いつものことだし、そんなに長々でもないので気にもしなかった。女好きだし実際もてたからな。 そんな父が本当に嫌いになったのはミレニアムの頃に死んでからだな。 妻に酔っ払って言い寄っていたけど、56歳の時の大腸ガンの手術で役に立たないのを日本画家だった母から聞いていたし(60過ぎて倅にそんな話する母親も珍しいと思うが父の不倫が発端で酷く神経を病んでいた)、またやってらっ!てなもんで。「厚さんが一緒なんで」と妻も嫌そうでは無かった。実は嬉しかった?w 流石に父は次にあったときバツの悪そうな顔してたが。
でも、この動画見て数日後の一昨日だっけかな、明け方父母の出てくる夢見てうなされ、目が覚めてアー死んでいてくれてよかったと心底ホッとした。父の死後、急にいろんなことあからさまに言われようになったし、自分は父のようには全く成功しないからな。美術館からしばしば来る私宛の封書は全部父の関係。ごく稀に母。著作権が私にあるから、プレスへの掲載許可書や寄託の証明書などにしょっちゅう三文判押して全部承諾の返信出している。時々忘れて学芸員から電話やメール(俺のHPからだな)がくる。あの嫌な死に方もある。つまり生前よりはるかに同業者として父の存在が私にとって巨大化したわけ。
しかも、死んだ直後、一生に一度の私の金銭感覚ゾーンが発動して遺作を動かして出来た数千万かで、父の借金、相続税をこなしてアトリエ付家屋を相続、子育てして焼き物も覚えちゃったから始末悪い。
因みに、その噂で厚=資産家説が未だにあるみたいだが、とっくの昔に全部使っちゃいましたよ。
それから、遺作を売って暮らしているという説もあるみたいだから言っておくけど、死直後以降、苦労して相続した大作は1点も動いていません。生活のために、下彫りの弟子を使って量産して点300万前後で売っていた木彫彩色の小品はオークション等で今は25万ほどになっている。それでもバブル時の著名作家作品で25万ついているというのはまだましの方なのだが。
つまりは、炊事して妻に働いて貰ったり、国民年金、細々、教室や器を売ったりして食っているのよ。
でも私の中の真鶴は全然違う。この動画みたいなセピアでは無く真夏の磯に赤だの青だののイソギンチャクがいて、キレイな海水が渦巻いている。砂浜に転がる大きな黒いウニ。美しい天然色の世界。
初めて見るアフリカ系の人。怖がって泣いたそうだ。
美大の頃、私も石を彫っていたが、初めて福島の御影石採石場に行って、見たこともないような巨岩を見た際、影から黒い人が出てくる強烈な予感的デジャブ。思わず、同行の後に石彫家になった友達に、「でっかい石って後ろから黒人出て来そうな気しない?」とマジメに聞いたっけ。勿論友達はノーの答え。キューバ人のカルデナスさんだな。
子どもの頃はこの真鶴シンポジウムの写真アルバムを繰り返し見たから参加者全員の名前を知っている。
お父さんが大好きだった頃のことだな。
1:29 辺りに父の作品。父はこの後具象の群像で世に出たのでこの作品は忘れられている感あるけど私は結構好き。この頃から2体組。今の私の作品に似ているかも。11:56 談笑する30代前半の父19:30 父の制作風景。




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