40数年年前の私立美大生時代のある日、敬愛する石彫家故渡辺隆根助教授(当時、1939年生まれ、2012年逝去)に講評をお願いすると私の石彫作品の前で「ウ〜ン、難しい、人の作品ほど難しい物はない!!」と言って何処かへ行ってしまった。
ちょっと名前の知れた彫刻家だった亡父実(1930〜2002年)にその話をすると、「いい加減な人だな、俺だったらチャンと教えるぞ。」
その頃父は日大の芸術学部に非常勤で教えに行くようになっていた。
自分とするといかにも渡辺先生らしいな、と嫌な気はしなかったのだが、なるほど「お前の作品、良くないなあ」を冗談でごまかしたのかな、とは思った。
しかし、渡辺先生のその御言葉は今思うと実は真剣な発言だった気もする。
考えてみれば、19世紀末以降、多かれ少なかれ、宗教、歴史、権力等の大きなものを背景にするのではなく、各自、自分の基準、感覚に従って作品を作るようになるから、他人、他の作家の作品の理解が難しくなるのは当然だろう。共有出来る基準は細る一方(個人主義と言うことだろうが、おおもとでは産業、交通、通信の発達と関係あるだろう)。
嘘は嫌だが、学生を激しくは傷つけたくない。 咄嗟ではあったが、孤独と背中合わせの美術家の人生と、美術史=人間の歴史を言外に匂わせた謂わばロマンティックな「お前の作品、好きではない」だったのかもしれない。
渡辺隆根先生は冗談だか本気だかよく分からない独特の繊細なユーモアで学生に大人気だった。
先生の作品はこちら渡辺先生FB公式アカウントで。以下、数枚拝借しました。
(写真下に続きます。)
方 1980 第44回新制作展
花 Flower 1967 第31回新制作展 新作家賞
石門 1968 第32回新制作展
生きものの海 1969 第33回新制作展 協会賞 香川県高松市
一見地味だけど正直で味がある。好きだなあ。私の一つの目標。
ところで、私の通っていた私立美大、東京造形大学の学費と下宿の生活費仕送りは、亡父が作品を売ることで稼いだものだった。美大、芸大(渡辺先生は芸大彫刻卒、ちなみに先生も彫刻家の息子)に行かず、桜井祐一氏に住み込みの弟子入りし、教職に就かず、酷い貧乏から初めて彫刻一本でそこまで稼げるようになった。
二十歳前後の子二人の親となった今思えば、父の不満顔の気持ちもちょっと分かる気もする。
言うまでもなく、まめな炊事と金を使わないことだけが生きる知恵の私にそんな甲斐性はないのだが。子供の私立美大はとても無理。
Comments