万葉集感想文=大伴家持の世界=改訂版
- 鈴木厚本人

- 6 日前
- 読了時間: 4分
3年ほど前万葉集(1〜4516番歌)を大体2年掛けて読んだ。八割方は万葉仮名の原文にも一応目を通した。一見ただの漢字の羅列から古語とは言え日本語が立ち上がってくるのは不思議なもので、なんだか面白かったです。規則性が少なくて読むのは大変でしたしほぼ覚えていないのですが。。。。
で、全体としては馬鹿でかくて不格好だけどある意味完結した文学作品になっていると感じた記憶。
全20巻のうち、1~16巻は大体、歌の内容により雑歌、相聞、挽歌などに分類されている。対して、最後の17~20巻は大伴家持一人のの歌日記となっている。概ね歌の内容形式等による分類では無く大伴家持の生活の時間軸によって歌がならべられている。そこに大きな断絶がある。
時代的にはほぼ巻1〜16の歌の時代が済んで巻17〜20の時代が始まる。
1−16は特に最初の数巻が圧倒的だったが、ストレートにパワフルな歌の数々。 以下2首は教科書でおなじみ。
笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば(巻2 柿本人麻呂)笹の葉は 山全体がさやさやと 風にそよいでいるが、私は妻を思う 分かれてきたので
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ(巻3 大津皇子)(ももづたふ)磐余の池に 鳴いている鴨を 今日だけ見て 死んでいくのか
対して巻17〜20は歌のウェートが下がり、その分、大伴家持(718年頃−785年)の身辺雑記的な漢文の詞書や左注が重要となり散文的になる。それはそれで面白かったのだが、後の土佐日記、蜻蛉日記と言った日記文学の源流を見る見方もあるそうだ。
また、巻17になると突然感じが変わるとともに、巻1~16までがどれほど輝かしい時代だったかが、よく分かるような構成のようにも感じた。和歌表現がそうストレートには出来なくなりつつある時代になったというような解説もどこかで見た。
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも(巻19 大伴家持)春の野に 霞がたなびき もの悲しい この夕暮れの光の中に うぐいすが鳴くよ
これを含む19巻末尾の春愁三首はこの時代の家持を代表する数少ない名歌。これも教科書定番。明治大正以降になって評価されるようになったと言う屈折した憂鬱感が何とも言えず良い。
政治的には藤原氏の専横が始まって、古代律令国家の理念がが崩れる時代であって正統派官僚大伴家持の立場は越中国守(746−751年)として地方に飛ばされるなど大変だったみたい。これもどこかで読んだのだが万葉集は下降史観でできていると。
そして万葉集最後の1首は、758年に因幡国守にさらに左遷された家持が新任地で詠んだ万葉集唯一の歌である正月の宴での妙に明るい雰囲気の冴えない歌だ。
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)(巻20 大伴家持)新しい 年の初めの 初春の 今日は降る雪のように 積もれよ良い事
この最終4516番歌のところで、今度は、巻1〜16はもとより巻17〜20も今までの万葉集の全てが夢のような良い時代だったみたいな感じになってちょっとビックリ。左遷先因幡国庁での宴席での一首のみが万葉集編纂をしている家持の地味な生活のリアル。
あたかも、急に目が覚めた感じで終わるわけだが、なんだか腑に落ちる。
無限に増殖する歌のカオスの輪郭が最後の最後にクッキリ見えた感じともいえる。
諸説あって、段階的に多くの人の手によって成立したとしても、後の手が入っているにしても、現在ある万葉集の形をつくったのは、ほぼ因幡国守に左遷後の家持1人だったのでしょう。
以上、記憶力が衰えつつある66歳が64歳の時に読んだ万葉集の感想文であり、独りよがりの解釈はもとより事実誤認が有る可能性大をおことわりします。
・雑文集に載せていた文章を大幅に編集して別のヴァージョンにしました。
・角川選書万葉集の基礎知識、小学館日本古典文学全集解説を参考にしました。
・この感想文の歌と現代語訳は小学館日本古典文学全集から引用いたしました。
・本文は岩波新日本古典文学大系中心と小学館日本古典文学全集で適宜持ち替えながら読みました。
・今回、主な論点はAIでひとつひとつ一応点検しました。文章はアドバイスは多少参考にしましたが、完全に自作です。





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