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  • 執筆者の写真鈴木厚本人

私の痛かった一日

2019年5月31日 ·facebookに投稿

今日は学校建築史の研究者で京都華頂大学の川島智生教授が取手に複数校残っている長倉康彦研究室(小文間小旧校舎の設計者で戦後学校建築の重要人物)作品を見学したいとのことで車で案内しました。私の小文間小旧校舎新HPを見て連絡をくれたわけです。

さすが専門家、役所、教育委員会、学校長に根回ししてあり人柄も人なつっこくて話は明快、どこでも歓迎してもらっていました。

廃校になった我が小文間小、井野小にも案内したのですがとても気に入ってくれて持っている雑誌の連載に取り上げるということでした。

素人が分からない中いろいろの資料を集め時に関係者に怒られながら研究して作った小文間小旧校舎と長倉康彦についてのHPにもちょっとは意義があったようでとても嬉しかったです。

と、ここまでは良い話しだったのですが、最初に訪れた白山小で先に車から降りた川島教授と小文間からの同行者のbさんがズンズン学校の中に行っちゃうもんだから

遅れまいと校門を開けるのを省略して横の植え込みの中をつっきろうとしたらそこに柵的に渡してあったL字断面の鉄棒に気付かず鼻を強打してしまいました。

鼻の付け根を触ると凹みが分かるくらい切れてかなりの出血で、ひ弱な私としますとすぐ医者に行きたかったのですが、川島教授は「医者は行かなくて良いでしょう」、bさんも「私は医者の娘だけど、大丈夫よ」と冷たいんで白山小の可愛くて優しい保健の先生の応急処置をうけた後、泣く泣くそのまま、役所、寺原小、井野小、小文間小、藤代庁舎までお連れしたというわけです。

まあ、わざわざ京都から長倉作品を見に来たわけだから。。。

2時ごろ家に帰ってきて、医師会病院に行ったのですが、「こりゃ、疵痕残っちゃいますね、時間経っちゃったから縫わない方が良いですね。」とレントゲン、抗生剤軟膏、抗生剤、痛み止めで帰って来ました。

というわけでしたが、今は痛みも引いてまあ大丈夫そうなのですが、鏡見ると鼻の付け根が腫れ上がって額と一直線になってショーンkみたいになっています。鼻先も強打したらしくて真っ赤っか。多少まだ出血も。。

そんなこんなで、もう何回もだしましたが、小文間小学校旧校舎新HPをどうぞ覗いてみてください。

小文間小学校旧校舎新HP


後記

件の記事はこちらです。

「ー長倉康彦設計の先進的な校舎・小文間小学校ー」 季刊文教施設2019年夏号掲載

傷跡は現在は幅3ミリぐらいの条痕が盛り上がっていますがメガネもしているし、顔にさまざまの凸凹が他にも多数あるの気になりません。(2021/11/13記)





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