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  • 執筆者の写真鈴木厚本人

蜻蛉日記

(2021/3/21Facebookのグループ小説と文学の研究に投稿した記事を少し編集)

蜻蛉日記、源氏物語についで読み終えました。

まず難しくて岩波文庫版で300ページほどの量にもかかわらず半年近くかかりました。

言い回しが言葉足らず的にわかりにくいのに加えて、古写本がなくて(現在のところ近世初期の宮内庁桂宮本が最良とされているらしい)手書き写本をくりかえした本文には意味不明の部分が相当数あり改訂が注釈書によってまちまちでした。

しかし、苦労はしましたが読み終わってみるとこの本文の乱れも優れた古美術が汚れや破損も古色として味わいになるように本物感をましているのかもしれないとも思いました。

現在の源氏物語は鎌倉時代の藤原定家校訂本の系統にほぼ統一されているようですが、整いすぎているという見方もあるらしいのと対照的です。

あまりさかんによまれて来なかった言うことで本格的な研究は元禄期の契沖が最初とのことでした。

与謝野晶子にも現代語訳があるらしいです。


「かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」で始まる序文に続き、蜻蛉日記上巻は19才の作者に夫藤原兼家が求婚してくる場面になります。しかしその部分の記述は和歌が多くてで読みづらく過去何遍も挑戦してそこで挫折しました。

今回初めて読み通したわけですが、上巻途中から中巻にかけてから身辺雑記の散文中心になり俄然面白くなります。

作者の藤原道綱母は受領の娘で権勢家藤原兼家(道長父、後の摂政関白太政大臣)の多くの妻妾の中で第一夫人とは言いがたく(第二夫人的立場かしら)、子だくさんで頭脳明晰らしい藤原道長生母=時姫に押され気味です。性格も陽気で無邪気な夫兼家と対照的に陰りがち。しかし、歌人としての声望はたかかったようです。


なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る


兼家との仲をはかなんで何回か寺に籠もるのですが、山の寺の情景はヒリヒリ張り詰めて美しく目の前に見えるかのよう。

寺、神社への参籠や祭り見物等案外よく外出しその際の描写はみな素晴らしいのですが、作者はよく疲れて気分が悪くなったりします。

夫兼家が黒幕の一人と言われている安和の変についての記述もあり流された源高明夫人愛宮(兼家の異母妹)に同情し長歌を送ったりします。

また、兼家の同母妹で村上天皇の寵を得た陽気な恋多き女藤原登子とのかかわりもあります。

まさに、平安期の空気感、貴族の生活感がリアルにひしひし。方違へ、物忌み、夢解き等超自然への恐れ的習俗は多く出ていますが物の怪は登場しません。

源氏物語は本当に素晴らしくも完全に、虚構=つくりものではあるのだなと思いました。


下巻のほぼ最後部に源氏物語に影響を与えたとだろうと言われている大きなエピソードがあり、それが何とも不思議な展開でアッと驚きましたのでその紹介でこの感想文を結びます。

夫兼家の訪れも間遠くなり関係が冷える中、作者は自身が見た夢への石山寺の断食僧の夢解が実際はいない自分の娘が帝の寵を得て栄えると出て養女を得ることを思いつきます。

そこで、兼家の落とし胤で琵琶湖のほとりに寂しく暮らしていた女児を探し出します。

夫兼家は突然現れた自分の娘をかわいがりますが、兼家の弟遠度(異母弟?)が作者の一人息子道綱の上司になったことをきっかけにその未だ少女の態の養女に結婚を迫り始めます。

兼家は8月にと言う約束をしますが、待ちきれない遠度は盛んに作者の家に訪れその時期を早めることを作者に懇願します。

遠度は絵に描いたような男盛りの美男なのですが世間に養女の存在が知られていないために作者に遠度が言い寄って通っているような世間体になって、半ば冗談に兼家が見当違いな焼き餅的物言いを始めます。

困惑した作者は兼家にこんなうば桜に誰が言い寄るモノですか的な歌を返します。


いまさらにいかなる駒かなつくべきすさめぬ草とのがれにし身を


ある夜、遠度の懇願に困って、結婚時期に関すると思われる兼家の手紙の1部分を渡してみせるのですが、夜の闇に間違えてその歌の下書きが有る部分を渡してしまいます。

それを見た遠度は何食わぬ顔でその歌を暗記してかえりますが、間もなくどこぞの人妻とただならぬ関係になり連れ去って隠れ住むという醜聞となって、養女との縁談は雲散霧消してしまうと言う結末です。

年端もいかぬ養女をめぐる恋愛話なのですが対応に当たるのは専ら夫との仲の冷えた30代も半ば過ぎた作者であって、そこになんとなく色っぽい空気が生まれる、そこに求婚者遠度の不倫がつながるとなんだかいきなり平安朝貴族の性の営みがギラッと生々しく見えた感じになってちょっとゾクッとしました。

(すみません、あんまり、うまくかけませんでした。)

で、その後日談として、どこから漏れたか件の歌を引用した太政大臣藤原兼通(兼家の同母兄)よりの懸想文みたいな手紙が作者の元にとどきますが、発展はなく当然のように立ち消えになります。ややあって蜻蛉日記は終わります。

これが日記文学から物語文学が立ち現れた瞬間として評価の高いという蜻蛉日記のクライマックスなのでした。

以上浅学故の間違いがありそうですが、その際はご指摘の上ご勘弁を。




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