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  • 執筆者の写真鈴木厚本人

福泉大仏

更新日:2021年10月7日


遠野市福泉寺の福泉観音は大正時代に創建された福泉寺なる寺(遠野市)の2代目住職が20年掛けて作ったという木の大仏。ネットの時代になって目にすることができるようになった日本のアールブリュット的彫刻の傑作!!と僕は思う。像高17メートルは木彫では日本一というふれこみ。以下、それについて書いたFacebook2020年10月30日投稿の記事を多少編集したもの。


以前、岩手県遠野福泉寺の大観音の動画(https://youtu.be/qnMgq2GG4Os)を紹介しましたが、そのいきさつが気になり作者の摺石宥然なる和尚の著作=「大観音の生まれるまで」という本を国会図書館から取り寄せて取手図書館藤代館の館内閲覧が出来たので通読して来ました。

この観音についてはゲテモノ的面はあるでしょうから嫌いという人も多いでしょう。

しかし、この本はなんだかとても真っ直ぐで正直な感じのする気持ちの良い、しかもへーっていうような面白いエピソード満載の一冊でした。

発願は終戦の年(師はすでに43歳)で敗戦の虚脱感に僧として何が出来るかと考えて。

30トンの巨木をもらうのですが、寺からそう遠くはないのですが鉄道まで運び乗せてまた下ろして寺の山まで持ってくる。そこに敗戦直後の人々が何千と集まってロープを引くのは感動的。太古の巨木、巨石運搬もかくやというような神々しさまで。

少し迷ったりめげたりすると大体において長期間の断食苦行で心を整える。

面白かったのは巨木を入手後同じ岩手花巻に住んでいた高村光太郎(戦中戦争賛美をしての戦後の隠棲と聞いています。その頃亡父実も山形の県展か何かのおりにあったらしく恐ろしく顔が長かったと言っておりました)に制作を依頼しに訪ねるが「お前が彫れ」と言われて自分で制作することに決心したと言うくだりです。

光太郎は面倒くさかった、或いは自分にはできないと思ったのじゃないかなどと思いますが、真面目な宥然師は仏像は信仰が無ければ作れないみたいなことを言われて感動して。

お金がなくなると何処へでも出かけて援助を依頼しますが、その際も荒行で邪念をそぎ落としているからの純真さからか、みんな多かれ少なかれ協力する。

東京まで行って議員時代の鈴木善幸、誰だったか忘れましたが大企業のトップになど。

そんなこんなで20年掛けて⦅完成時師は既に60を超えていたはず)高さ17メートルの観音が出来上がったというわけです。










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