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  • 執筆者の写真鈴木厚本人

タイムマシン

更新日:2022年10月14日

 昨年、ある保育雑誌にインタビュー記事が載ったのだが、その読者と今は会えなくなってしまった某旧友に見てもらうことを念頭に、コロナ禍中の昨夏、HPを全面的にリニューアルした。

 その際、美大生時代から現在までの作品の写真をほぼ全て見たのだが、良かったはずの作品がそうでもなく、苦労したけど結論が出なかった感じの作が案外良かったりしたのはよく有る話。

うぬぼれた時代はろくでもない作が増えるということか。

 昨夏のHPのリニューアルは、WixHP作成システムを理解するのが難しい(英語が多すぎ)上にpcが古くてよく動かなくなり、何週間もかかって体重が減るほどであった。 しかし、雑誌の読者からも旧友からもまるで反応無し。

 今回、40年以上になった自分の作家活動を振り返ってみたわけだ。

自分で言うのもおこがましいし、本当に自分がおかしい可能性も考えるのだが、彫刻と絵画は点数は少ないけど私の基準では頑張ったと思う。

ヤキモノは生業になる可能性が多少有った時期に、自分にしては量産して駄作も多いが、美術品として自分の彫刻絵画と同レベルのものもかなりあると思う。

 しかし、なんでこんなに人気ないのだろうか。

日本国内では、ちょっと名前の売れた彫刻家であった亡父実の成功者としての振るまいを見て育った一人息子としては、当然かなり辛い。収入は雀の涙。

 で、不人気の理由で思い当たるのは。

①、地味で華やかさがない。薄ぼんやりしている。インパクトがない。

②、エログロや政治的な内容の作品が結構ある。上品さがない。

③、知的に見えない。

④、ユニークではない。

⑤、いろんなことをやりすぎて、見ている人が安心できない。私と言う作家を理解できない。  本人からするとこの⑤が重要に思えるので以下その説明。

「面白くなってきたな、と思うと違うこと始めちゃう。何やりたいんだか分からない。舟〇(桂さん)を見ろ。ずっとあれだ。」芸大教授だった有名彫刻家=深〇隆さんのお言葉。当の舟〇桂さんは多分初個展に来てくれて「鈴木君はいろいろ出来てイイね。」「がんばって、いろんな自分を見つけてください。」と言ってくれたのだが。

 本人からすると、何かやりたいイメージ、様式があるのではなくて、何かをズーッと詰めてやっていて行き詰まり、苦しみ抜いて、ふとちょっと違うやり口にするとパッと開ける感じが好き。

 違うパターンに移った「初期」に出る、イメージや情感などという物とは違うなにか。

美しさとか、上手さ、立派さ、本当らしさ、ましてや自分らしさなどとは、ほぼ無関係の何か。

上記①〜⑤までを満たすことではない。

共感や癒やし、革新をそこから得ることは多分難しい。

 古今東西ジャンルにかかわらず、美術品を見るのは大好きだが、その時代の初期、20世紀以後はその作家の初期に出ることが多いなにかが好き。

多くは一見雑だったりバランス悪かったりするのだが、よく見ると、その一種の不器用さと不可分に圧倒的な情報量、豊かさが潜んでいる。

そんな素晴らしい「初期」に、私の作家人生に無数に設けた「初期」がなっていると言い切る自信は無いのだが。


 さて、そんな私が30代の頃、日本画家だった亡母芳子(私が40の年に酷い鬱病の果てに心臓発作で死んだ)が「自分の狭い殻に閉じこもって頑固なのは厚の悪い癖」とよく言った。亡母も相当な変人作家で、急に成功した亡父の陰で辛い思いをしたようだったが、私よりは評価が高かったと思う。

 そんな30代後半だろうか、自分の作品がそうは受け入れられない事が薄々分かってきたころ、「成功とは繋がらなくても作るのは苦しいが面白い。うけることなど忘れる。だけど、タイムマシンかなんかで、自分の晩年を見て一生無名のままだということが分かったら、やっぱり、続けられないかもしれない」と思っていた。

 そして、あっという間に30年の月日が流れ、気がつけば63歳、実際に晩年になりつつある。 多分、死ぬまで鳴かず飛ばず、遺品の大作が子供達の負担だな、とリアルに思うようになった。 しかし、まだ30代後半と同様、作品を作るのはやはり苦しくはあるが面白く、美術をやめようとは思わない。

金銭的、体力的にきつくなったとしたら、多分、なんらかの技法の小さな作品づくりに夢中になるだろう。スタイルや素材を換えるのは得意だし。

 しかし、タイムマシンで今度は自分の死後に行き、自分の作品が未来永劫に全く顧みられずゴミとして捨てられるばかりのところを見たとしたらどうか。それでも続ける自信は? う〜ん、五分五分かな〜 勿論、そうなってみないとわからないわけだが、タイムマシンは未だ存在せず、今生も死後も未来には絶対に飛べないのは救いでもあるのだな。



最新作の一つ 「急須的人間」2022年 磁器 顔料 石灰透明釉

美大時代の作品 「Block head 1.2]  1980−1981年 御影石

全く技法もスタイルも違うが、あんまり変わっていないとも言える。


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